【P11】
二十一世紀の無料(フリー)は二十世紀のそれとは違う。アトム(原子)からビット(情報)に移行するどこかで、私たちが理解していたはずの現象も変質したのだ。 「フリー」は言葉の意味そのままに「無料で自由」であることになったのだ。
【P14】
このテーマは本にするのに申し分ないと私は思った。「まちがっている」と「自明のことだ」という二つの意見の分かれる話題は、どんなものであれ、いいテーマに違いない。
【P21】
二十世紀にフリーは強力なマーケティング手法になったが、二十一世紀にはフリーが全く新しい経済モデルになるのだ。
【P31】
ブログは無料で通常は広告もないが、私たちがブログを訪問するたびに何かしらの価値が交換されている。コンテンツを無料とする代わりに、私たちがそのブログを訪問したり、そこにリンクを張れば、そのブロガーの評判が上がる。ブロガーはその評判を利用して良い仕事を得たり、ネットワークを広げたり、多くの顧客を見つけたりできる。ときとしてその評判はお金に代わることもあるが、色々な方法があるので、一概に言うことはできない。
【P47】
シヴァーズによれば、中国の一部の医師は、担当する人達が健康ならば報酬をもらえるという。彼らが病気になれば、それは医師の責任なので、医師は報酬をもらえない。担当する人を健康にし、それを保つことが医師の目標なので、それが報酬を決めるのだ。
【P62】
人気の劣る彼らは、金銭よりも自分の曲が放送されることを望んだので、ラジオ局がタダで自分たちの曲を流すことを認めた。
【P62】
結果は皮肉なものだった。フリーはASCAP(米国作曲家作詞家出版社協会)が恐れたように音楽ビジネスを崩壊させることなく、反対に音楽産業を巨大で儲かるビジネスに変えた。 低品質の無料バージョン(低音質でいつ曲がかかるのかわからないラジオ)は、音質のよい有料バージョンを買ってもらうためのすぐれたマーケティング手法となり、ミュージシャンの収入は演奏からレコードの著作権使用料に移った。
【P62】
現在のフリーは、形を変えて同じやり方をしている。 無料の音楽配信がコンサート・ビジネスを成長させるためのマーケティング手法となっているのだ。
【P69】
人間はものが贅沢なことよりも、希少なことを理解しやすいようにできている。 なぜなら私たちは生存のために、脅威や危険に過度に反応するように進化してきたからだ。 私たちの生存戦術のひとつに、ものがなくなりそうな危険に注意を向けることがある。 進化の観点から言えば、贅沢にあることはなんの問題にもならないが、希少な場合は奪いあいになる。
【P72】
贅沢にあるモノのコストが底値まで下がるとき、その商品に隣接した別のモノの価値を押し上げることがある。マネジメントの専門家であるクレイトン・クリステンセンはこれを「魅力的利益保存の法則」と呼んだ。
【P74】
今日、希少なのは、元米国労働長官のロバート・ライシュが、「シンボリック・アナリスト」と呼ぶ、知識と技能と抽象的思考をあわせ持つ有能な知識労働者だ。 むずかしいのは、人間とコンピュータの仕事の最適な配分を考えることで、その線引きは常に動いている。
【P77】
人はどうして、場合によって<無料>を質の低下だと考えるときと、考えないときがあるのだろうか。 それは無料に対する感情が絶対的なものでなく、相対的なものだからだ。 それまでお金を払っていたものが無料になると、私たちは質が落ちたと考えやすい。 でも、最初から無料だったものは、質が悪いとは思わないのだ。
【P82】
いくらであっても料金を請求することで、心理的障壁が生まれ、多くの人はわざわざその壁を乗り越えようとは思わない。それに対して、フリーは決断を早めて、試してみようかと思う人を増やす。 フリーは直接の収入を放棄する代わりに、広く潜在的顧客を探してくれるのだ。
【P85】
消費者からすると、安いことと無料との間には大きな差がある。 ものをタダであげれば、バイラルマーケティングになるうる。 一セントでも請求すれば、それはまったく別で、苦労して顧客をかき集めるビジネスの一つになってしまう。 つまり、無料は一つの市場を形成し、いくらであろうと有料になると別の市場になるのだ。 多くの場合で、それがすばらしい市場とダメな市場の違いになる。
【P94】
消費者が集まるコミュニティがないかぎり、本やビデオや雑誌を出すことは考えられません。結局、物語性の問題なのです。人々は物語の始まりや中盤、結末や筋を知りたがるのです。どこかに購入ボタンがあれば、彼らはときどきそれをクリックして、私たちがまじめに働いていることに対してご褒美をくれるのです。
【P104】
情報処理能力と記憶容量、通信帯域幅が速くなり、性能が上がり、安くなるという三重の相乗効果をオンラインは享受している。だから、私たちはユーチューブのようなサービスを無料で受けられるのだ。 そこでは、量的に限度無く動画をスムーズ見ることができ、画質もどんどんよくなっている。それらは、ほんの数年前には目の飛び出るほど費用がかかることだった。
【P111】
要するに、アイデアとは究極の潤沢な商品で、伝達のための限界費用はゼロなのだ。アイデアが生まれると、みずから広く遠くへと伝わることを望み、触れたものすべてを潤沢にする(社会でそのように広まる考えを「ミーム」と呼ぶ)。
【P128】
一方で、情報は高価になりたがる。なぜなら貴重だからだ。正しいところに正しい情報があれば、私たちの人生さえ変わりうるのだ。他方で、情報はフリーになりたがる。なぜなら情報を引き出すコストは下がりつづけているからだ。今はこのふたつの流れがせめぎ合っているのだ。
【P130】
潤沢な情報は無料になりたがる。稀少な情報は高価になりたがる。
【P130】
ここでは「潤沢」な情報と「稀少」な情報の限界費用を考慮している。低い限界費用で複製、伝達できる情報は無料になりたがり、限界費用の高い情報は高価になりたがる。だから、皆さんはオンラインで本書のコピー(潤沢でコモディティ化された情報)を無料で読める〔アメリカ国内では期間限定で、グーグル・ブックスやスクリブドで無料公開された〕。
一方、私が皆さんの町まで行って、皆さんのビジネスに合ったフリーに関する話をするのは別だ。私は喜んで飛んでいくが、皆さんは私の(稀少な)時間に対してお金を払うことになる。私は子だくさんで、子どもたちの学費も高いので、私への報酬が無料になりたがることはない。
【P158】
Yコンビネーター社は小規模企業専門のベンチャー・キャピタルだが、その共同創業者のポール・グラハムは起業を目指す者にいつも単純なアドバイスをするという。「人々がほしがるものをつくりなさい」・
【P166】
『クラウド化する世界』の著者ニコラス・カーは次のように記した。「グーグルが情報を無料にしたがるのは、情報コストが下がれば、より多くのお金が稼げるからだ」
これが補完財の力なのだ。
【P169】
だが同じ割合でも、ウィキペディアの訪問者の一パーセントがみずから項目を書こうとすれば、それはかつてないほど貴重な情報の倉庫になる(実際は、ウィキペディアの訪問者で投稿するのは約一万人に一人にすぎない)。多ければ多いほど差が出るとは、全体が大きければ小さな割合でも大きな影響を与えられることだ。だから、多いことはいいことなのだ。
【P184】
広告とコンテンツを一致させるのが活字上ではダメで、オンライン上ではよい理由はなんだろうか。この問題の核心には、オンラインへ移行するにつれて広告がどう変化してきたかを知る手がかりがある。
【P185】
あるとき私は、広告をなくしたほうがいいか、サイトの訪問者に聞いてみた。すると、広告の配信を続けてほしいという意見が大多数だった。コンテンツとの強い関連性があるために、訪問者はそれをコンテンツの一部と見なしていたのだ。広告があることに気づかなかったという意見が次に多かった。広告を削ってほしいという意見はもっとも少なかった。だから私は広告の掲載を続けている。
【P188】
有料コンテンツの終焉
1.供給と需要
2.物質的形状の消滅
3.入手しやすさ
4.広告収入で運営するコンテンツへの移行
5.コンピュータ業界はコンテンツを無料にしたがっている
6.フリー世代
【P204】
これは限界費用経済学のもっとも純粋な形態だ。配布コストがかからないモノを無料で配り、店舗で売る利益率四割の商品の価値を高める。フリーを利用して「有料」の儲けを増やしているのだ。
【P208】
それもそうだろう。思い出に残る経験こそが、もっとも稀少価値があるのだ。
【P211】
無料書籍のビジネスモデルの大半は、いろいろな形のフリーミアムにもとづいている。数章分を期間限定でダウンロードできる場合でも、印刷版とそっくりのPDFファイルでまるまる一冊を無期限で入手できる場合でも、デジタル形式にすることで、できるだけ多くの人に試しに読んでもらい、その中から買ってくれる人が現れることを期待する方法をとっている。
【P214】
ノンフィクション書籍、とりわけビジネス書を無料にする場合は、無料音楽を手本としていることが多い。限界費用の低いデジタル書籍は、限界費用の高い講演やコンサルティング業務のためのマーケティング手法となっている。コンサートのために音楽を無料で提供するのと同じだ。消費者は、著者の全般的なアイデアを無料で得られる。しかし、もし特定の会社や業界、または投資家向けの会議にカスタマイズされたアイデアを知りたい場合は、著者の稀少な時間に対して料金を支払う必要がある(それは私のモデルでもある)。
【P215】
オライリー・メディアの設立者のティム・オライリーが言うには、「作家の敵は著作権侵害ではなく、世に知られないでいること」なのだ。フリーはもっとも低コストでもっとも多くの人に作品を届けられる方法であり、試し読みが役目を果たすと、「上級」版を購入する人が出てくるだろう。本をアトムの形で持ちたいと望みつづけるかぎり、読者は紙の本に代金を支払いつづけるのだ。
【P234】
これは、経済学者がゼロに近い「限界価格」と呼ぶものの例で、ゼロに近い「限界費用」と混同してはならない。前者は消費者が経験することで、後者は生産者が経験することだ。だがネットフリックス(宅配レンタルDVDサービス業)のようにその両者を結合させられれば、最良のモデルとなる。
【P238】
一九七一年、情報化時代の夜明けに、社会科学者のハーバート・サイモンは次のように記した。
情報が豊富な世界においては、潤沢な情報によってあるものが消費され、欠乏するようになる。そのあるものとは、情報を受け取った者の関心である。つまり、潤沢な情報は関心の欠如をつくり出すのだ。
【P250】
啓発された利己主義こそ、人間のもっとも強い力なのだ。人々が無償で何かをするのはほとんどの場合、自分の中に理由があるからだ。それは楽しいからであり、何かを言いたいから、注目を集めたいから自分の考えを広めたいからでありほかにも無数の個人的理由がある。
【P250】
では、人々はそんなことをする時間をどうやってつくるのだろうか。ほかの何かをしないことによってだ。社会的・精神的報酬を得られないことをするのをやめるのだ。
【P257】
なぜなら、もっとも重要なのは関連性だからだ。私たちが選ぶのはいつでも、自分が求めていない「質の高い」動画ではなく、「質が悪く」ても、求めている内容の動画なのだ。
【P269】
不正コピーは事実上、中国のすべての産業に及んでいる。それにはこの国の発展状況や法制度も関係しているし、さらに儒教では、他人の作品をまねることは敬意の表明であり、教育の基本になるという知的財産に対する考え方がある(アメリカで学ぶ中国人留学生に模倣の何が悪いのかを説明するのに苦労することは多い。師のまねをすることは、中国では学ぶことの中心にあるからだ)。
【P310】
「読者が何章か読む可能性があればかならずあとでその本を買てくれると私は思いました」。コエーリョはインタビューでこう語っている。「作者の究極の目的は読んでもらうことです。お金はそのあとです」
【P311】
フリーは魔法の弾丸ではない。無料で差し出すだけでは金持ちにはなれない。フリーによって得た評判や注目を、どのように金銭に変えるかを創造的に考えなければならない。その答えはひとりずつ違うはずだし、プロジェクトごとに違うはずだ。その答えがまったく通用しないときもあるだろう。それは人生そのものとまったく同じだ。ただひとつわからないのは、失敗の原因が自分の貧困な想像力や失敗への恐れにあるのに、それをフリーのせいにする人がいることだ。
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